『レイラの最後の10分38秒』

『レイラの最後の10分38秒』 エリフ・シャファック 北川 絵里子訳 早川書房

2019年のブッカー賞の最終候補に選出

「彼女は最後に何を思い出すのか?ーートルコで今もっとも読まれる作家が描く、ひとつの生命の旅立ちの物語『レイラの最後の10分38秒』(エリフ・シャファク)」早川書房WEBサイトより

亡くなってから、過去の記憶を回想していく。
この最後の10分38秒は、亡くなる前の10分38秒ではない。
亡くなってからの10分38秒だ。
不思議だが、亡くなってからも魂は数分間は生きている(動いている)?ということなのだが、実際にそういうことはあるらしい。(訳者あとがきによると)

不思議な描き方だなと思いつつ、犯人は誰?なぜ殺されなければいけなかった?と思いつつ読み進めていく。

が、ポイントはそこではなかった。

彼女の生き様、彼女の親友たち、トルコ・イスタンブールの理不尽さ…
厳密に言うと、イスタンブールが歪といううより、問題の根底にイスラム教があるように思った。
これを読んだとき、いつか観た「イスラーム映画祭」を思い出した。

レイラの考えでは、人ひとりが持てる友人の数は五人までだ。ひとりでもいれば、運がいい。恵まれていれば、ふたりか三人、もし輝く星でいっぱいの空の下に生まれついたなら、五人 ーーー 生涯でそれだけいれば、じゅうぶんすぎるほどだ。それ以上に増やそうとするのは賢明ではない。そんなことで、すでに頼りにしている友人たちの立場を危うくしてはいけない。

レイラには、素晴らしい友人が5人もいる。親友だ。

これは、レイラと親友5人のおはなしだ。

レイラが生まれてから成長し亡くなるまでが描かれているが、日本で暮らすものにとっては、何と理不尽なと一体何年前の話だと憤慨してしまう。
このお話はフィクションではあるが、今もこのような抑圧されて育てられている子どもは多いのだろう。
宗教で親も子どももがんじがらめになっている。

親友たちも状況は違えど、社会の理不尽さに翻弄されて生きている。
だからこそ、お互いに優しくできるのかもしれないと思う。

苦労ばかりしてきたレイラが亡くなり、同じように辛い思いをしてきた親友たちに、レイラの死が背中を押してくれたことが心の救いとなる。


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