フィフティ・ピープル
『フィフティ・ピープル』 チョン・セラン著 斎藤真理子訳
となりの国のものがたり1
痛くて、おかしくて、悲しくて、愛しい。
50人のドラマが、あやとりのように絡まり合う。
韓国文学をリードする若手作家による、めくるめく連作短編小説集。
帯(訳者あとがきより)
家族のように近い関係ではなく、すれ違う程度の人々、良き隣人の存在が社会においてどんな重要かを、著者は描きたかったのだろう。
還暦を前にした母親である訳者にとっては、お嫁さんのけがに心を痛めるチェ・エソン、初の就職でダメージを受けた娘を思いやるイム・チャンボクの二人はまさに同僚、もう一歩進んで同志のように感じられたし、読む人の立場によってそれぞれに、忘れられない「人生の同僚」を見つけることができるだろう。
現代を生きていく辛さがあり、その中で人の優しさがあって、民主主義の世の中なのに不条理で貧困から抜け出す手段がなかったり、それでも親が子を思う気持ちは揺るぎないというのが、ホッとする。
わたしは、「ソ・ジンゴン」が大好きだ。
「ヨンモもそう言った。柔らかい手のひらをジンゴンの手に載せて。何も知らないのに知っていると思っている。若者らしい顔で。だがジンゴンは、ヨンモがこれから先もずっと、そんな考えのままで生きていければいいのにと思った。りんごなんかむきながら、この剣呑な世の中を生きていこうとしているなんて。ずっと子どものままでいさせてやることはできないのだろうか。風に舞う風船を手首に巻いて遊園地を歩いていくように、生きさせてはやれないのだろうか。それができる力を持った親もどこかには確かにいるはずだ。ジンゴンは自分がそんな親でないことが悔しかった。あざができたところ、引っかいたところ、ひびが入ったところ、膿が出るところが、悔しさを感じるたびに痛かった。」
父親ジンゴンの子を思う気持ちに、涙が止まらなかった。
生きていくのは大変だ。こんな世の中に子どもを出すのは、身を切るほど辛い思いがするのだろう。
もっと生きやすい世界にならないのかな。