砂漠が街に入りこんだ日
『砂漠が街に入りこんだ日』 グカ・ハン著 原正人訳 リトルモア
フランス各誌が驚愕!
「大事件」とまで評された、鮮烈なデビュー作。
こ の 距 離 が、 私 を 自 由 に し た。
あらたな「越境」小説集。
出身地である韓国を離れ、渡仏した若き鋭才、グカ・ハン。
選びとったフランス語でこの小説を書くことが、自分のための、独立運動だった。
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そこは幻想都市、ルオエス(LUOES)。人々は表情も言葉も失い、亡霊のように漂う。
「私」はそれらを遠巻きに眺め、流れに抗うように、移動している。
「逃亡」「反抗」「家出」、その先にある「出会い」と「発見」。
居場所も手がかりも与えてはくれない世界で、ルールを知らないゲームの中を歩く、8人の「私」の物語。
リトルモア・webサイト紹介文より
登場人物は誰もがみな移動している。
ある街から別の街に向かう者もいれば、ある国から別の国に向かう者も、あるいはただ川を渡り、向こう側に行くだけの者もいる。
彼らは現実の世界と夢や幻想の世界を、生と死の間を行き来する。
そもそもこれらの短編は、作者である私が二つの言語の間を絶えず往復した成果だった。
邦訳版書き下ろし「作者あとがき」より
彼ら彼女らはちっぽけな個人では太刀打ちできない大きな力に直面し、しばしばそれに押しつぶされてしまっているように見える。
だが、グカ・ハンによれば、必ずしもそういうことではない。
登場人物たちは、しばしば世界から身を閉ざし、縮こまっているだけのように見えるが、それは理不尽な世界に対する反抗のひとつのあり方である。
「訳者あとがき」より
フランス各紙が驚愕!とあるが、確かに衝撃だった。
「砂漠がどうやって街に入りこんだのか誰も知らない」
この始まりの続きが気になり、買ってみた。
家に帰り、座って読もうと本を開いたら、しばらく中腰のままで読んでいた。
なんという感覚なのか、ちょっとよく分からないんだけど、興味深くて、一気に読んでしまった。
1回読んだだけでは、きっと分からない。でも、ファーストインプレッションを壊したくない。
このガラスのような感覚を大事にした方がいいのか…
多和田葉子さんに少し似ているなと思ったら、やっぱり、著者は多和田葉子さんを尊敬してるらしい。
内容は全然違うのだけど、カミュの『異邦人』を読んだ後と似た感覚になった。
韓国人の著者がフランス語で書いた作品だから、舞台はヨーロッパなのかと思ったら、どう読んでもソウルとしか思えなかった。もしくは、東京。ヨーロッパではないアジアの匂いがした。
短編集ではあるものの、主人公は違うのに、何だか似ている空気感で、「砂漠」がキーワードなのか全体に乾いている印象があった。
最後のお話の終わり方が、この社会に対する微かな抵抗と捉えるといいのか。
訳者の原正人さんのあとがきが、とても助けになった。
よかった。