学問のすすめ
「天は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らず」
あまりにも有名なこの言葉は、言わずと知れた学問のすすめの一説、福沢諭吉の言葉だ。
日本人なら誰でも知っているこの『学問のすすめ』だが、はて読んだことがあったのか?
学校で習うので、読んだような気になっていたが、よくよく考えたら今まで読んだことがなかったのだ。
日課としている書店巡回のとき、ふと目に留まったこの『学問のすすめ』だ。
書店は、最先端のものから古典まで揃っていて、アイデアの宝庫だ。
その時々に必要な本を見つけさせてくれるのだ。
そして、その日は「学問のすすめ」と出会ったのだ。
なぜか、読まないといけないというか、初めからこの本を探していたような気持ちにまでなっていた。
その本は、現代語訳をされたもので、とても読みやすくなっていた。
少し立ち読みしてみると、訳者が「最近の学生は学問のすすめを読んでいない人が多い。文語体が読みにくくて読んでいないのなら、あまりにももったいない」と書いていた。
あまりにももったいないと言われているこの本を読んでいないとは、何ということだ。
私は、ものすごく損しているように感じたとともに、私が欲していたものはこれだったんだと確信した。
読んでみると、私は福沢諭吉という人物を勘違していたと思った。
随分と厳しいことを言う人だったと知った。
一つ一つ例え話をされており、その例え話がとても細かく、そんなところまで見ているのかと驚いた。
その時代背景まで読み取れて、とても興味深い内容だった。
時代は違うものの、おおよそ今の時代でも適用できる内容で、私の生活をどこかから見ていて、注意されているように感じた。
特に胸に刺さった言葉は、
「人生というものは、思いのほかに悪事をなし、思いのほかに愚かなことをやり、思いのほか事を成さないものなのである」
「その原因はと言えば、ただ流れに身を任せて生きているだけで、かつて自分自身の有様を反省したこともなく、『生まれて今まで自分は何事をなしたか、いまは何事をなしているか、今後は何事をなすべきか』と、自身の点検をしてこなかったことによる」
図星過ぎて、かなり堪える言葉であった。
人生の折り返し地点をすぎ、ようやく本を読むことの奥深さを知った。
そして、もっと深く文学を知りたいと思い、文学部に行って学んでみようと思った。
それは、自分は上辺だけ撫ででいて、本の深層を理解できていないのかもしれない。
本を読み、いい本だったなと感動しても、上手く自分の言葉で言い表すことが難しいのだ。
心では感じているのに、言葉にして表現することが出来ないもどかしさを感じていた。
「学問本来の趣旨は、ただ読書にあるのではない。物事を『観察』すること、物事の道理を『推理』して、自分の意見を立てること」
やはり、自分が出来ていないことを指摘してくれていると、この本は気付かせてくれた。
人には、基準点が必要だ。自分を、自分の現在点を図る基準点だ。
自分が今どこにいて、どこに進もうとしているのか、自分を見失うことのないよう大海原に出た時の北極星のような存在だ。
それがないと、いつも揺れ動き、心は絶えず不安に駆られてしまう。
ここに戻ると、自分の間違いや、成すべきことを気付かせてくれるから、いつでも再出発することができる。
おそらく多くの人はこの本を読んだことがあるのだろうが、今でも胸に刻んで覚えている人は、そう多くはいないだろうと思う。
今一度、福沢諭吉が何を言いたくて、我々に何を期待していたのか、読み返す必要があるのだろうと思う。
「あなたは今どこにいますか?」